駅のホームで、電車の中で、携帯電話片手にメールを送る人を目にすることの多い今日この頃。また、色々な情報を手に入れる上で、インターネットが欠かせない手段となりつつあり、高速大容量通信等の謳い文句でプロバイダの宣伝も盛んに行われる時代の中で、通信事業に携わるNTTコミュニケーションズの鈴木正誠社長を訪問、お話しを伺いました。電電公社といえば、かつてのお役所。しかし、社会のためになる仕事をすべきとの鈴木取締役相談役の姿勢からは、そのイメージとは正反対のものが見えてくる。現在、大競争時代の真っ只中にある通信事業の多面性の一端を垣間見たように思いました。

(東京知道会会報から)
【鈴木正誠さん(昭和36年卒)インタビュー】 ネットでつながる世界へ

--【グローバルなITサービスめざし】
柴田: NTTコミニュケーションズは、旧電電公社民営化後のNTTから分社して設立された会社と存知あげてますが、具体的にはどんな事業を行っている会社なのでしょうか?
鈴木: NTTコミニュケーションズが誕生してから6年、当初は長距離・国際通信を行う会社として発足し、現在では、インターネットを中心とする新しい通信サービス、ITサービスを提供する会社となっています。そして、ここでいうITサービスは、地域や時間を超えてグローバルに情報を提供できることに特色があります。

--【より広範囲の人たちがITを利用できる環境作りの支援】
柴田: IT技術と社会との関係をどのようにとらえていますでしょうか?
鈴木: インターネットの誕生をいつというかは難しいですが、1986年頃、NSF(National Science Foundation)が始めたのを端緒とすると、わずか十数年程で飛躍的に発展し、広く使われるようになるとともに、社会構造をも変えつつある技術。蒸気機関や、飛行機が誕生し、産業構造が変わりましたが、それに要した時間と比較しても、IT技術は非常に短期間で社会の構造までも変えつつあります。インターネットは、仕事の場面、また色々な生活の場面において活用されるようになり、提供される情報量も飛躍的に増大。利用者層も小学生から高齢者までと幅があります。一方、利用し易さという点でみれば、まだまだコンセントを差し込んでスイッチを入れればいいという訳にはいかないので、利用していない人も結構いるでしょう。こうした部分に対しハード面での利便性を向上させるとともに、ソフト面、つまり、利用のための支援(サポート)体制を考えていかなければと思っています。なぜかというと、足腰が弱って、銀行まで出ていって色々な手続きをするのが大変だという人こそ、自宅で、インターネットを使って色々な料金の振込み等ができれば、大変な思いをして出かけなくてもいい。こういう人がインターネットを使いこなせるように、サポートできる人材を育てていく必要があると思っています。

--【ITは教育現場で有効活用を】
鈴木: また、ITは、教育の場面で非常に大きい役割を果たすことができると思いますね。実は何年か前の米国訪問の際に、いくつかの小学校と回線をつないだ、ネットによる遠隔討論会を見せていただきました。子供達が非常に生き生きと楽しそうに討論するのをまのあたりにして、それは大変新鮮な驚きでしたね。「これは、日本でもやらない手はない。でも、日本の学校だけでやると、今一、盛り上がりに欠けそうだ」と思い、日本の高校とインターナショナルスクールを含めた4校で、実験的に討論会を行ってみました。やはり、活発な議論が展開されましたね。双方向の通信を活用することによって、こうした様々な取り組みも可能となることから、学校教育のみならず、様々な学びの場面において活用できるものであるITは、将来性のある豊かな技術といえますね。

--【コンテンツをパッチワークのようにつなぐ通信網】
鈴木: 通信回線を引くことは、提供できるものがあって初めて意味がある。したがって、提供できる情報、コンテンツが重要になってきます。そして、ITは、時間や地域を超えて、コンテンツを提供しようとする側と、それを利用しようとする側とを結ぶことができる手段、例えてみると、コンテンツをパッチワークのようにつなぐものと思ってます。世界中の色々なコンテンツを提供できる人や事業体を結んで、ネットワークを構築し、こうしたコンテンツを活用できる仕組みをつくること、具体的には、ITのオーガナイザーとしての事業を行っていきたいと考えています。

--【少年時代は科学技術へあこがれ】
鈴木: 僕は東海村の出身で、ちょうど原研ができるという時期だったため、科学に興味を持ち、原子核物理学者になろうと思って、随分入れ込みました。こういう勉強を通して、科学技術に世の中を変える力があると実感しました。高校一年の父兄面談の際に訪れた父親に担任の先生から「いや、今の成績では、(東大の)物理は。。。。」の一言。実は父はこれで「行ってもいい話は聞けない」とそれっきり一高の面談には足を運ばなくなってしまいましたね。そんないきさつで急遽進路変更。東京大学の文科一類(当時、経済は文一だったそうです)へ進学。実は僕は中学の時に、結核ですでに1年半休学していて、気持ちの中で浪人したくないということもありましたね。その結核なのですが,僕が療養しはじめた頃にいい薬が出るようになって、今考えると運がよかったです。もう少し前の時期だったら助かっていなかったかもしれないわけで。

--【後輩達へのメッセージ:自分の中に湧き上がる夢を】
鈴木: 今は、世の中が物質的に豊かになった反面、競争は激化しているので、自分の将来に対する大きな夢を描くことが難しくなってきている。しかし、今後、変わってゆく、あるいは発展していく芽はたくさんあるので、若い人は「ぜひ自分の夢をもって進んでほしい」。若い頃に「将来、こういうことをやりたいんだ」と思うものを自分で見つけることが大切で、これは他人から教えられるものではないですね。知識をつけることとは別に、自分のやりたいことを探すことが大切だと思います。

(インタビュアー 柴田富士子(50卒))

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